インフラSE日記

OSS、仮想化、金融工学、ゲーム、ときどきラーメン

認知の歪みと存在価値について

ちょっといろいろあって、とある人から「一緒に死のう」と言われてしまいました。
自分のせいではあるのですが、なかなかつらいものがありますね。
改めて、自分は人間未満の生きる価値がない有機体だと実感しました。

ところで、皆さんは自分が生きる価値があると思ってますか? また、この世に生きる価値がない人間がいると思いますか?

価値とは何でしょうか。
Wikipediaによると価値とは以下のように記載されています(2018年4月8日参照)。

価値(かち)とは、あるものを他のものよりも上位に位置づける理由となる性質、人間の肉体的、精神的欲求を満たす性質[1]、あるいは真・善・美・愛あるいは仁など人間社会の存続にとってプラスの普遍性をもつと考えられる概念の総称。

自分には生きる価値があるのか?という自問自答を繰り返した結果僕が出した結論は

自分には生きる価値がない

でした。
誰からも愛されず、誰からも必要とされない人間になぜ生きる価値があるのでしょうか?
死ぬのが怖くて自殺もできず、生きる価値がない自分がのうのうと生きているのが許せないのです。

「生きる価値がない」で検索するとそこそこヒットします。みなさん同じようなことを考えているんですね。

「お前は認知が歪んでいる」と言われてから数年経ちました。
Wikipediaによると認知の歪みには10パターンあるそうです(2018年4月8日参照)。

1.全か無かの思考
2.行き過ぎた一般化
3.心のフィルター
4.マイナス思考
5.論理の飛躍
6.拡大解釈、過小解釈
7.感情の理由づけ
8.~すべき思考
9.レッテル貼り
10.誤った自己責任化(個人化)

かなり当てはまってしまってますね…。
あまりこういうことを普段から考えているとは他人に相談できないです。
なので、思い切ってブログに書いてみることにしました。
ただの生きる価値がない、二酸化炭素を製造するだけのゴミの戯言です。

僕が一番好きなバンドGRANRODEOのネジレタユガミの歌詞の一節を引用して終わりとします。

捻れた歪み
あの空の下で泣いて笑って思い出す


そんな感じです。